道場は「男ろくさんの本音」という本の中で、数江瓢鮎子(かずえひょうねんし)先生はお茶の師であり、料理の師であり、人生の師でもある。と書いている。数江先生は同時に、道場八十七年のこれまでの人生で唯一、人として甘えさせて貰えた特別な師でもあったようだ。
先生は、中央大学名誉教授で学者である一方、茶の湯や懐石料理に関する研究者として知られている。道場が懐石料理を学び始めたのは、四十歳を過ぎ「ろくさん亭」をオープンした後のこと。近くの美術工芸展で数江先生と知り合い、お店に足を運んで下さるようになった先生から、茶懐石の手ほどきを受けるようになった。もともと興味のあった懐石料理、好奇心旺盛な道場にとって新しい目標に出会ったような大きな喜びだった。
郷里山中は、茶道も盛んなところで、茶道具を商っていたこともあり、茶の湯の心得はあったのだが、道場にとって茶懐石は初めての勉強だ。数江先生に教わりながら、いろいろな茶室に出張しては腕を磨いた。茶懐石のメニューは茶道創始者・千利休まで遡り、旬の食材や素材の持ち味にこだわり、決して技に走らない料理。だから、料理の鉄人でテレビに出ていた時は、数江先生「あれあれ」と思っているだろうなぁーと、道場は気か気ではなかった。
前出の本の中に、数江先生はこんな文章を寄せて下さっている。
ろくさん亭で食事をしながら、料理の夢のような理想って言うのは懐石料理なんだよ。と言ったら、実は私も前から憧れているんですと言う。じゃ少し勉強するかと言ったら、是非ということになって、そうしたらああ言う性分だからのめり込んでしまって、一年半ほどしたら、ろくさん、すっかり懐石の料理を身に付けてしまった。ですから、懐石の料理を作らせたら彼は一流ですよ。とうとう自宅のマンションで「懐石みちば」を開いてしまって、ますますのめり込んでしまう。
一日、五~六人のお客さんをどんなにもてなしても、ろくさん亭にあなたが居なければ、店に来た客はがっかりしちゃう。あんたはこんなことにのめり込んじゃいけないよ。と厳しく言ったんだけど聞かないんですよ。でもね、普通のマンションでの営業は許されない。半年くらいしたら保健所からストップがかかりできなくなった。本当にホッとしました。
可愛い人ですよ。かなり我がままなところもあるし、喧嘩早いこともあるけど、正直ですよ。自分を殺してまで体裁作って人と付き合わない人。嫌な奴とは喧嘩もします。だけど本音は優しい人です、純情だ。あんなにもまれているように見えても、本当の本音は純情な人だ。僕はそこに魅力を感じているんですね。
ある日、「先生、あの世に行っても付き合ってくれないか」と言う。とうとう鎌倉の瑞泉寺に建てた僕の墓のすぐ傍に、自分の墓まで建ててしまう。ろくさんとは何かウマが合うと言うのか、のんべえ同士で、よく愚痴も聞きましたよ。僕自身人にアドバイスできる人間じゃないから、もっぱら聞き役にまわって、それが彼にとって助かったんじゃないですか。あのとき、私が下手にけしかけたりしたら、今の、ろくさんはないですよ。
そんな数江先生も、二〇〇三年に逝去され、道場は本当の意味で甘えることのできる師匠を失った。この文章を書きながら、何となく思い出したことがありました。それは、数江先生が道場を呼ぶ時の「ろくさん」と言う言葉。何んとも哀感に満ちた父親にも似た優しい眼差しを感じます。これまで傍にいて仕事をさせてもらう中で、インタビューや打合わせも含め、人から気安く「ろくさん」と呼ばれるのを極端に嫌っていた道場。幼なじみや、年上の方に呼ばれるのはいいのだが、時には話の途中で怒り出すこともあって、なぜ「ろくさん」と言う言葉に強い反応を示すのか、これまでとても不思議でならなかった。でも、この章を書きながら、ろくさんと親しみを込めて呼べるのは数江先生だけなのだと言うことがよく理解できた。数江先生はやはり、道場にとって特別な存在だったのだろう。