ろくさん亭の宮永料理長曰く、天王寺蕪が美味しい時期を迎え、毎年厨房では「蕪は丁寧に炊けよ」「固さにきをつけろよ」という道場の声が飛ぶようになると、今年も冬が来たなと感じるそうです。今回は北大路魯山人やエリザベス女王といったうるさ方(?)をおもてなしするといったイメージで考えた蕪料理。優しくてシャープに、派手すぎず華やかに、そしておめでたい気分にさせてくれる蒸しものでした。
蕪は扇面に丁寧に切り出されます。角を落として外側はそっと丸みをつけて。包丁を動かしながら少し細めて見ている目には、すでに盛りつけのイメージが映っているんですね。時々手に取った蕪を傾けながら、いろいろな角度からの見栄えをチェックしているようです。
「これ美味しく炊いておけ!」と蕪を手渡されたのは、15年来師事してきたろくさん亭の人気者、崎岡さん。この1月でろくさん亭を巣立って行くことになっているので「最後の冬」となりました。撮影中もよく叱られたりしていましたが、いつも先回りしてあれこれ用意したり、厨房だけでなく来客や他のスタッフにも気を配ったり、時々後輩をからかったりと超気配りムードメーカーですね。ろくさん亭の厨房が道場のちょっとした動きにも機敏に対応しながら、チームワーク良く短時間でどんどん料理を仕上げていくパワーは、こうした「若い衆」を育ててこそ発揮できるものなんだとつくづく感じさせられます。
蕪は下茹でしてから、そっと出汁を含ませます。煮すぎないように火を通すという、微妙な頃合いを見逃さないようにしなければなりません。「透き通ってはダメ。柔らかすぎる。でも味はちゃんと吸わせる。」頭で考えてても全然だめ。経験しないと覚えない・・・だそうです。
扇面に切り出して炊いた蕪は周りに桂剥きにした蕪を巻いて囲いを作ります。そこに雲丹や蟹を盛りつけます。桂剥きににした薄い蕪を煮るのはさらに難しい。同じように下茹でして出汁を含ませるのですが、何しろ薄いので切れてしまわないように、でも盛りつけたときに囲いとして美しい透明感も欲しい。もちろん味も。
桂剥きの蕪を茹でているところ。撮影しながら緊張してました。茹ですぎませんように。
茹で方、茹で具合、味。細かい指示がその都度出されます。「茹であがったら冷やさないでそのまま地(出汁)に漬けろ!」そして素早くそれに応える。
炊きあがった蕪。「昔、ウチの煮方で蕪の茹で方をうるさく言ったら逃げてった奴がいるんだよ。蕪は本当に難しいからな〜」そう思って見ていると、この中にいろんな技とか時間とかがしみ込んでるんだなぁと、ちょっと神妙な気分になってきます。写真ではわかりづらいですが、白の色合いや透明感、出汁の香りから察するに、箸を通したときの素敵な感触、いわゆる絶妙な歯触り、優しい味・・・とこの時点で想像しまくりです。
美しい見栄えの料理の裏には「きちんと測る」という仕事がちゃんとあるんですね。これは扇面の蕪の高さに対して囲いとなる桂剥きの蕪の高さをどのくらいにするか算段をして、実際に扇面の蕪を置いて測ってから切る、といった作業をしているところです。例えば人参は良く煮込むと結構縮むので「煮込む前に測る」のではなく「煮込んでから測る」。意匠と知恵と段取りと。建築とかデザインとかいったセンスも必要なんですね。で、測った後は定規もなくすーっとまっすぐ曲がることなく直線に包丁を運ぶ。技だらけです。
扇面の蕪に桂剥きした蕪を巻いて囲いにし、そこに雲丹と蟹を盛っていきます。扇面のイメージをうまく生かすように蟹の身の微妙な長さにもこだわっていました。実は作ったもののイメージがしっくりこなくて一度やり直しをしました。
きれいに盛られた蕪は蒸し器に。いよいよ仕上げです。吸い出しに葛でとろみをつけたいわゆる「銀餡」も用意されます。
蒸し上がった蕪に銀餡をかけて・・・
品よくわさびを添えて出来上がりです。蕪が白いので器は黒っぽいものでも良いかとも思ったと話していましたが、今回は白の器に黒の敷き皿で。丸い皿の中に強いコントラストを作るのではなく、あえて白でなじませ扇型を優しく浮き上がらせておいて、雲丹と蟹の目出たい色をフィーチャーする。皿の中の白の色は単調な一色ではなく、皿の白、銀餡の白と艶、蕪の白、雲丹・蟹の色を包む桂剥きの透き通った白。変化に富んだ白が心躍らせます。その皿を黒の背景に置いて、円の中の絵を際立たせる。ため息が出る美しさでした。確かに女王の心を掴む大人らしい華やかさのある一品です。